突然ですが、人生の最終目的はみなさん何だとお考えでしょうか?
ここをお読みの方は、これまでおそらくそういう問題も一度は深くお考えになられた方だと思います。現在を適当に生きておられる方はきっとこういうモノに興味がないとも思います。
[adsense]これまで生きてきて一時的な充足感や満足感を得たことはあると思います。それは男性なら念願叶って自分が手に入れたいと思っていた車を購入し、はじめてハンドルを握った瞬間。女性なら自分が行ってみたいと思っていた海外旅行へ行けたとき。または一生懸命勉強して、希望校に合格できた瞬間。男性女性とも心から恋した人とお付き合い出来るとなった瞬間。その価値は人により様々ですが、そういうハッピーな瞬間を体験出来たことも多々あると思います。
しかしそれらが人生の最終的な目的かというと、少し違いますね。それらの満足感、充足感は確かに幸せを感じるひと時ではありますが、人生全編を通した目的かというと少し違う気がします。
それでは人生の最終的な目的とはどういうものでしょうか?
それは自分が一生を閉じる時「あぁ、幸せだった」と満足感に包まれる状態ではないでしょうか。「あぁ、私は幸せな人生を送った」と心から感じるには、どのような状態でしょうか。それを考えれば人生最終の目的は「幸せ」な状態になるということだと思います。
ではその「あぁ、幸せだった」と思える状態とは、具体的に言えばどんな状態でしょう。それは自分が思ったことすべてを達成し、悔いが残っていない状態ではないでしょうか。そお、自分が「こうなりたい」「こうしたい」というすべて達成出来たとき。そういう状態なら人生の最期を迎えてもニッコリ笑ってあの世に行けるのではないでしょうか。
元気で若い時はたくさんのお金を得ることが最大の目的だったという人もいると思います。お金をたくさん持つことはけっして悪いことではありません。でもお金というのも幸せになるための一つの道具でしかありません。いくら道具をたくさん持つことが出来ても、その状態が幸せであるとは限りません。ましてや死に際に余るほどのお金が枕元にあったとしても、おそらく普通の人であるなら別のものを求めるのではないでしょうか。
本当の幸せとは、生きている間の自分の目標、願望、イメージがすべて自分で納得出来る形で完了できた時に人は「幸せ」を感じてこの世を終えることが出来るのではないでしょうか。
人間が最期に「幸せ」を感じて終えることが出来るには、自分が「やりたい」「こうなりたい」と思うことが全て出来て満足感を感じた状態だと言いました。
ではあなたが今世で「絶対こうしたい」「必ず成し遂げたい」と思うことはなんでしょう?
[adsense]すでにそういうものを見つけて、その目標に向かって頑張っている方もいるでしょう。でもそれとは逆に「わたしは何をしていいのかわからない」「自分は何になりたいのかわからない」と思いながら生きている人も多いと思います。むしろ情報量が溢れる現代では、後者の人の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
人間この世に生まれ落ちるのは必ず何か「目的」を持ち生まれてきています。目的なくこの世に生まれて来る人なんていないのです。だから大切なのはその「意味」と「目的」を知る事です。厳密には知るというよりも、思い出すことです。
なぜ「知る」というよりも「思い出す」ことなのかと言えば、この世に産まれてきた自分の意味も目的も生前に自分で決めているからなのです。
まずは、以下のこの世の概略を覚えておいて下さい。
人はこの世に生まれ出ることを宿る命と書いて「宿命」といいます。そして魂がやるべきことを終えて天に還ることを「天命」といいます。
「宿命」と「天命」の間を歩む道を「王道」といいます。王道とはつまり、その人が歩むべき進むべく正しい道という意味です。
王道を歩いている間は、多少の困難ごとが起こってもそれは克服出来ます。それは修行であり試練だから。逆に王道を逸れて歩んでいる時に起こる障害は、どうもがいても越える事は出来ない。「その道は違う」というメッセージだから。
よって人はそれぞれ自分が決めた「王道」を歩むことが人生では必須なのです。というか歩まねばならない。そしてその歩む行為を命を運ぶと書いて「運命」という。
これが大事です。
人は王道において「命」を運んでいるわけです。けっして流れているわけではないのです。
これを理解すれば次に知らなければならないのが、自分の「宿命」であり、どの道を歩めばいいのかという「王道」を見つけることです。
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